3歳児になりきればイヤイヤ期の本質がわかる

まるで仏様のようだとママ友の間で評判であった息子にも少し遅いイヤイヤ期がやってきたようだ。

  • 「御飯食べる?」「御飯食べない」
  • 「ご本読む?」「ご本読まないお終いにする」
  • 「ごめんなさいは?」「ごめんなさいゴミ捨てる」
  • 「こっちおいで」「パパお仕事行く」

なんでも嫌。終始この調子である。最後のはもしかしたら嫌われているだけかもしれないが取り敢えずイヤイヤ期の所為にしておこう。

あと何もかも自分でしないと気がすまないようだ。朝急いでいるのに自分で靴をはくと言って聞かないというような初級イヤイヤは日常である。先達てなどは脱げないように紐で固く結んだズボンを自分で脱ぐと言って聞かなかった。少しでも手を貸そうものならパパは仕事に行かされそうになる、しかし手伝わないとイライラして号泣である。お風呂に誘う前にさり気なくズボンの紐を緩めておけばよかったなどと後悔してももう遅い。お風呂に二回は軽く入れる時間が経ち、お父ちゃんは3往復くらい仕事へ行き、愛息が涙でぐちゃぐちゃになって、疲れきって紐を緩めさせてくれるまで修羅場は終わらない。

さて、親から見ればなんの理由もなくイヤイヤ言っているだけのように見えるイヤイヤ期。子供はどうしてイヤイヤ言うのであろうか?そもそもイヤイヤ期とは何なのであろうか?

それは子供の立場になりきってみないとわからないであろうと思う。というわけで、今から私は3歳児である。

今まではお母ちゃんが色々と世話をしてくれることに全く疑問をいただくことはなかったが最近自分で何かをしたいという気持ちが芽生えてきた3歳児である。バブー。

ケース1

さて、お母ちゃんが御飯を食べるかどうか聞いてきた。確かにお腹は減っている。昨日までの私であればなんの疑問も持たずに「食べる」といったであろう。しかし本当にそれで良いのであろうか?今私は電車で遊んでいるのである。飽きたかというとそうでもない。十分、二十分であればまだまだ楽しく遊べそうだ。それに電車遊びが終わったらチャレンジの付録で遊ぼうと思っていたところだ。しかしお腹は減っている。そもそも御飯とは何なのであろうか?電車遊びに優先して常に行われなければいけないものなのだろうか?もしそうであればさっき私がお腹をすかせて訴えたあの時、なぜ母上はもう少し遊んでおけといったのであろうか?そうだ思い出した。私は先刻の母の言葉に従っていま遊んでいたのでる。吾輩は全く意味がわからぬ。意味がわからぬ。もうどうすればいいかわからなくなってきたでござるのでこう言っておこう「御飯食べない」。

ケース2

さて、最近のお気に入りはクレヨンである。クレヨンをしたいというとお母ちゃんはいつも白い紙を出してくれる。白い紙からはみ出しかけると紙の中に書くように言われる。昨日までの私はどうかしていた。なぜ何も考えずに、母が言うから、それだけの理由で、白い紙の上にしか絵を書けないと決めつけていたのであろう。私はクレヨンを紙以外のものに這わせたらどういう感触がするのか、どういうことが起こるのか知りたい。今はただそう思うのである。お手々にクレヨンを塗ってみたい。フローリングにクレヨンを塗ってみたい。そもそも好奇心こそが人を人たらしめているのである。ああ、にも関わらず母上様はものすごい剣幕で怒っておられる。フローリングにクレヨンを塗ったことが気に入らないらしい。しかしながらつい今しがたフローリングにクレヨンを塗ることこそ「人を人たらしめる営み」であると論じたばかりである。お母ちゃんが怒っているからと言って舌の根も乾かないうちに「ごめんなさい」では3歳時の名が廃るというものだ。かと言って母もこれだけ怒っている以上、なかなか退けないであろう。いい落とし所は無いだろうか。仕方がないのでごめんなさいを存在しないことにしてしまおう、「ごめんなさいゴミ捨てる」。

少々理屈っぽい3歳時であるがなりきっているといっても本体は40を超えたおじさんであるので大目に見ていただくとして、実際になりきってみてイヤイヤ期の本質が少しわかった気がする。

  • お母ちゃんに言われるままではなく自分の意思で何かをしたい
  • しかし自分でも何をしていいのか分からない。物事の優先順位はどうつければいいのか?世の中はどのようなルールで動いているのか?分からない事だらけである。

つまり、何をしたいのか、どうすればよいかわからないがお母ちゃんの言うことをそのまま受け入れるのも嫌という気持ちがイヤイヤとして現れるのである。

これは意識の高い系新入社員に頻繁に現れるイヤイヤ期forフレッシュメンと全く同じ構造だと言えるだろうがこれは次の機会に論じることにしよう。

さて、子供のイヤイヤ期にほとほと手を焼いているお母さん、お父さんは多いと思う。ついつい大きな声で怒ってしまったり、もう知らないと突き放してしまったり、そういうこともあると思う。そんなときは少しだけ思い出してほしい。彼・彼女は今、自分の意志で物事を決めて生きていくための訓練を不器用ながら一生懸命頑張っているのだと。

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