感情論が苦手

こんにちは、いとまきです。

今朝Facebookを見てたんですが、やけに「いいね」と「コメント」が付いている投稿があったんです。

どういう投稿かというと、盲導犬を連れている人が方向を変えさせるために足蹴にしている映像だったんですけど、愛犬家達(笑が必死に「盲導犬反対」ってコメントしているんです。

こういうの見るとイライラするんですよね。

それにこのひと仕事できないんだろうなって思ってしまします。

・盲導犬を足蹴にする障害者がいる→盲導犬反対

って単に感情論であって論理的ではないですよね。

そんなこと言ったら、

・飼い犬を虐待するやつがいる→犬を飼うの反対

ってことになるじゃないですか?

愛犬達、いいの?

そもそも、

・犬を使役動物として人間が使うことの是非

・動物を虐待することの是非

2つの論点に分けて考えなくてはいけませんよね。

私はどう考えるか

犬を使役動物として人間が使うことの是非

こんなもの考えるまでもありません。

そもそも犬は家畜です。使役動物です。

人間に品種改良された結果、今の犬があります。

人が使いやすいように、人に作られた動物なんです。

逆に言うと、人に使われることを好んだ個体が選別されて今の犬になっているんです。

犬はこういう特性を持った動物なんです。

・人と共に暮らしたい(ペットとしての犬)

・人の役に立ちたい(使役動物動物としての犬)

盲導犬反対と言っている人たちは、犬は愛玩動物としてペットにされることは嬉しいけれど、人の役に立つ仕事をするのは苦痛に感じていると思いこんでいるんでしょうね。

猟犬だった犬種がペットとして家に閉じ込めておかれるのは苦だと思いますし、家の中で可愛がられるためにつくられた犬種が外に放置されると苦でしょう。

それは犬種によって大きく違うと思いますよ。

そもそも、身の回りにいる家畜や食べ物ってすべて人間に品種改良されたもので、原種とは全然違います。

一例を上げると

牛の原種(オーロックス)

出展:Wikipedia

とうもろこしの原種

出展:筑波実験植物園

まったく別物ですよね。

家畜は人の手を離れて生きられないんです。

蚕なんて野生では一日も生きられないそうです。

米なんて実が落ちない突然変異種なんです。

当然人が種をまかなければ繁殖できません。

犬も人と共にでなければ生きられないんです。

このあたりはこの本に詳しいです。

動物を虐待することの是非

難しい問題ですよね。

冒頭の盲導犬の例を取れば虐待に当たるでしょうね。

同じ方向を変えるとしても馬のムチは単に指示であって無理強いではないのでOKでしょう。

感情論にならずにその動物にとって苦かそうでないかを判断するしかなさそうです。

結論

私が映像を見た感想は、飼い主は盲導犬を虐待しているけしからん。

以上です。

それ以上でも以下でもありません。

盲導犬反対などとは全く別の次元の話です。

議論するのであれば論理的にお願いしたいところです。

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